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この章では、スタニスラフスキーの『俳優修行』から演劇が何によって作られているのかを捉え直していく。既存の演劇観では、俳優は物語の世界の中を生きることが前提として置かれていたが、俳優を一個人(もしくは労働者)と捉えたときに、「演劇」という形式が俳優の手の外に置かれているのか、俳優の手の中にあるのかが問題となる。つまり、俳優は代弁者であるのか、表現者であるのかという問題である。

これは、パフォーマンス理論、表現主義から見れば自明なことであり、俳優は舞台上では一個人であり、表現者であれば劇の構造を所有し、代弁者(専門家)であれば劇の構造を所有しているかしていないかは不問となる。このことは、演劇の理論を少しでも知っている人であれば自明なことである。

だが、この問題は自然主義リアリズムにとっては複雑きわまる問題である。およそ、その結論は出ていないと言っても良いだろう。そこで『俳優修行』というテキストから演劇を支える構造の体系を見直すことにする。

この章では、自然主義リアリズムの方法であっても、演劇を支えるのは俳優であり、構造ではないことを示していく。