ページ

日本と西欧のリアリズム比較【まとめ】

リアリズムの西欧比較「なぜ日本でリアリズム運動が起こらなかったか」

●はじめに
 この文章は、現在の研究対象である「日本的リアリズム」のための考察文である。より多くの文献にあたる必要があろうし、問題提起も的確とは言えないかもしれない。
 インターネット上に思索の痕跡を残すためであり、ここに書かれたことを真と受け止めるか否かは読者の身にゆだねたい。

●比喩継承ではなく幻としてヨーロッパの文学研究でとりあげられる『ホメロス』と同じく、日本にも神話と言われる物語が存在する。土着のものもあれば、宗教から生まれたものもある。
 日本においてリアリズムが志向された物語をどこから始めるべきかは、筆者にはまだわからない。
 しかし重要なことは、写実的な描写を志向する風土が日本にはなかったということである。キリスト教であれば人間の生や物語は神の人生の一部であり、物語は比喩継承になる。
 しかし、仏教観にはこのような考え方はなく、「誰にでも仏陀になれる」わけであり、大乗仏教においてさえも現実とは「ゆめかうつつかまぼろしか」なのである。
 現実に生を受けた人間にとってさえも、生はフィクションなのである。そもそも、物語を写実的に描写する土壌はなかったのである。

●身体表現におけるリアリティ
 日本において演劇行為は申楽=物まねとして現れた。時には宗教儀式として、時には大衆の楽しみとして。演劇史的には能は天皇の庇護に置かれるようになり今にも残ることになる。
 天皇の庇護化に置かれた伝統芸能はカタルシスを得るべき芸術=悲劇の形式を増すようになる。
リアリズムが求められたのは、歌舞伎においてである。阿国歌舞伎から歌舞伎が生まれたことに異論のある人はいまい。歌舞伎は江戸時代まで大衆の芸能として楽しまれた。
 そしてリアリズムが意識されるようになったのは『曽根崎心中物語』ではなかったか。
 英雄伝ばかりであった浄瑠璃の世界に小市民の恋愛をモチーフとした物語をヒットさせた。
 だが、能や歌舞伎でリアリズムが志向される作品は少なく、落語の成立までリアリズムの発展は見送らなければならないだろう。
 しかしここで注目したいことは、江戸時代にかけて日本の演劇は「身体表現におけるリアリティ」を目指してきたのではないか、ということだ。
 大衆芸能として能ではなく歌舞伎が興ったことを鑑みると。さらに世襲制が今でもまだ制度の中に残っていることや、現実の生を幻とさえ捉えてしまうことを考えると、作品の中にリアリティを求めたのではなく、作品を上演する身体にリアリティを求めてきたのではないか、と。
 舞台上の身体は虚構そのものではなく、どこかほかの世界(来世?)へ通じる媒体である。つまり、演技とは来世の比喩継承なのだと。
 西欧=ロゴスの比喩継承なのだとすれば、日本=身体の比喩継承と言えないだろうか。
 それはいささか無理があるにしても、日本の場合は身体表現にどこまで真実味を持たせられるかで競い合っていた、と言うことはできよう。

●日本語革命
 欧米諸国と同じリアリズムが志向されたのは、明治維新以降であった。演劇史的には新劇がそうである。
 しかし、新劇の活動は近代的リアリズムを築くことができなかったといわざるを得ない。それは、「近代」という制度抜きに日本は近代化を図ってしまったという文化的大傷を負っており、美術にしても写真にしても音楽にしても宗教にしても、演劇また例外なく「失敗した」からであった。
 ここで評価すべきは、むしろ樋口一葉や三遊亭円楽、後代では井上ひさしや平田オリザなど日本語の革命を受け入れた作家たちではなかっただろうか。
 もちろん、日本においても木下順二のように日本の風土を描くことでリアリズムを達成しようとした人物もいるが、『夕鶴』を見れば分かるとおり都市の風景までは描くには至っていない(もちろん、木下順二は欠かすことのできない作家である)。
 これらは近代的リアリズムを築き上げるものではなかったが、日本は言語の革命を受けたためにどうしても彼らを経由せざるを得なかったのである。
 だが、ここでも私の主張を通そうとするならば、言語の革命は内容にまでは影響しえなかったのである。平仮名を使うようになってからの芝居が、市民の生活を描写しえただろうか。井上ひさしは歴史に向かい、平田オリザは近未来へと向かった。
 彼らがぶつかった壁は大きい。日本では市民革命が達成されていないという事実だ。
 日本の作品で市民革命が描かれたのは『忠臣蔵』であるが、忠臣蔵以外にはありえない。フランスでは『レ・ミゼラブル』があるように、日本にも『忠臣蔵』がある。しかし、日本語の革命以降市民革命は存在せず、「市民」という概念が定着する間もなく、現在へと至ってしまった。
 これが彼らのネックだったのである。したがって日本語の革命はテーマまでは深入りすることができず、その権利はむしろ映画に委託されたと言っても良いだろう。
 映画においては、日本語革命の後、大衆を描く映画監督が登場する。それは近代リアリズムを志向したものであった。しかしここでは触れないことにしよう。

●つかこうへい、アングラ演劇
 その時代、同世代の空気を表現しようとした人物がいなかったかといえば、そうではない。
 アングラ演劇がそれである。新劇のアンチとして登場したアングラであるが、アングラこそが日本のリアリズムを志向した芸術運動であったと評価すべきであろう。
 高度に資本化された都市を嘆いて多くの作品を作ってきた。それは寺山修司から始まり、唐十郎、土方巽、鈴木忠志などを経由する。ここではあえてつかこうへいにまで飛躍することにしよう。
 彼らがいかにしてリアリズムを志向したのかといえば、それは内容やロゴスではなく、身体においてである。
 一見不気味な表現で、写実的ではないが、それは大衆をテーマにし、現代社会の問題にまで深くコミットするものであり、西欧が行ってきた近代的リアリズムとやっていることは同じである。
 ただ、それが劇作の分野ではなく新たな身体表現の発見という形でなされたことが、今の日本の演劇シーンを見る上でも、また過去の演劇史を紐解いていく上でも重要である。
 写実性は問われないが、身体表現の自然さが問われる。それが日本の演劇史なのである。
 同時期には新劇も西欧の作品を輸入し上演を試みてきたが、市民という概念が定着していなかった環境において、これはなじみの浅いものになってしまった。三島由紀夫に「西欧のまねごと」と愚弄されることにさえ、なってしまうのであった。

●現代の作家たち
 この流れは現代においても顕著である。世界で活躍するイッセー尾形や岡田利規、前田司郎などを見ても、身体表現のリアリティが問われている。
 現代の作家は、さらに作品の内容も社会問題を取り入れたり、大衆が登場する物語になっており、だいぶ近代的リアリズムに近づいてきた。
 しかし西欧と大きく異なるのは、彼らがいずれも身体のリアリティを気にしていることであり、必ずしも劇作に専念しているわけではないことである。
 これは世界の演劇シーンから比べても異質なことであり、日本独特の風土だと言えよう。
 日本においても坂手洋二らが近代的リアリズムに追いつこうと活動を続けているが、いまだに定着しているようには思えない。やはり、身体表現におけるリアリティが問われているように思える。
 日本はいまだに西欧に追いつけ追い越せで制度改革を行っているが、西欧から見習おうと思っても無理なものは切り捨て、アジアに目を向けるべきなのではないだろうか。
 こう考えれば日本が身体表現を中心にリアリズムが志向されたこともネガティブなことではない。それはほかのアジアの国でも同じような現状だからである。
 西欧はロゴスできたが、私たちは身体表現で演劇を模索し続けてきた。文学や映画においては近代的リアリズムを達成することもできたのだが、演劇の分野においてはいまだに達成を見ていない。
 前田司郎の作品『生きてるか、死んでるか』においては仏教的死生観が反映されていたと評価することもできよう。そうすると、やはり日本においては生=幻で、舞台上の身体のあり方こそが来世の比喩継承であるという見方を捨てることはできない。
 前田司郎のような作家は西欧においては誕生しえなかっただろう。
 ここで私は、日本が西欧とは異なる方向からリアリズムを達成するために、身体表現こそ日本の価値基準なのだ、と主張したい。