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卒業論文『演劇の記号論~スタニスラフスキーを読む~』⑤

■「自然主義」の主体

「たしかに個々の場面場面はうまくいった。舞台効果があって、楽しく、演出家や俳優によい材料を提供した。しかしこういうばらばらの部分部分を一つにまとめ、それを劇の基本的な糸でつらぬこうとする段になると、糸はこのてんでにつくられた部分部分をつらぬこうとしないことが分った。そこには作者をみちびいて、一つの一定した目的へ向かわされるべき、あの共通な、基本的、統一的な思想が欠けていた。いや、それどころか、それぞれの注文者ごとにいくつかずつの、したがって数多くのありとあらゆる目的が混在し、それらが劇をそれぞれ別の方向へひっぱっていこうとしていたのだ。」(Станиславский. 1926a. 訳p120)


 「俳優は舞台上のコード変換の主要な実行者である」から、コードの変換によって物語を「展開」させていくためには演出家、劇作家、装置家、音響家、照明家、そのどの人物よりも「俳優」について論じる必要がある。(K・イーラム『演劇の記号論』p94-95)

 演劇が記号学的に論じづらく、また今後ますますの研究が期待されるのは、主体が複数いるということだ。

 「ロラン・バルトは、一九六四年に、演劇は、特徴として「真の情報の多声音楽」で「記号の密集体」であるから、記号論的研究の特権的な分野である、と挑発的に示唆した。「類似的、象徴的または約束事的であれ、演劇記号の性質、メッセージの外示的意味と、共示的意味――記号学のこれらすべての基本問題が演劇のうちにある」(本文に引用されているのはBARTHES. 1964, p. 262)。

 しかしながら、バルトはみずからの挑発をさらに徹底させることはなかった。」(ELAM. 1980 p22)と指摘するように、劇の詩学が取り組むべき問題の一つは「真の情報の多声音楽」としての演劇だろう。

 「自然主義」では「劇作家の意図と調和」することによって、「俳優」が情報の発信者として説得力を持って観客と接することができる。(Станиславский. 1936. 訳p442)

 これは情報の発信者が劇作家であるのか演出家であるのか、俳優であるのかという問題を「俳優」に収斂させていく試みである。大概の場合、劇作家や演出家の意図と調和していない限り、俳優は「演技が下手だ」といわれることになる。しかし俳優自身の名前が有名であったり、キャラクターが強い場合には劇作家や演出家の意図は観客に伝わることはない。

 「自然主義」はテクスト至上主義である。これは演劇だけに及ばず、クラシック音楽においてもスコアが重要視される。演奏者は作家の意図に調和することがまず第一とされ、そのための訓練(ディシプリン)が長い間(多くの場合、その演奏者の人生の大半以上を裂くほどの長い時間をかけて)、必要とされる。

 これらは「多声音楽」としての主体を一つにまとめあげるために行われる。結果的に劇作家の意図に沿うような、俳優の「情報発信」が「演技」なのである。劇作家がテーマを持って戯曲を書いていた場合、テーマはディエギシスされる。しかし演劇はミメーシスであるので、そのテーマは何か別の行動によって表象されなければならない。劇作家は(ミメーシスを意図した台詞を書いたとしても)常にディエギシスすることしかできない。そこで俳優はディエギシスされた戯曲を解釈し、内面化することによってミメーシスへと自らの身体を訓練(ディシプリン)する。


「戯曲を必要以上に砕いてはならないし、自分を導くのに、ディテイルを用いてはならない。徹底的に工夫され、隅々まで充実した、大きな段落で輪郭づけられた進路をつくり出したまえ。」(Станиславский. 1936. 訳p171)


「『パースペクティヴ』という言葉は、こういうことを意味するのだとしよう、つまり、或る戯曲なり、役なりの全体における、部分の、計算された、調和のある相互関係と配分とである。 それは更に、こういうことを意味するのだ、即ち、適当なパースペクティブがないならば、いかなる演技も、いかなる動作も、いかなる身振り、思想、物言いも、いかなる単語、感情等々もあり得ないということである。至って単純な舞台での登場や退場も、或る場面をやり遂げるなり、或るフレイズ、単語、独白その他を発音するなりのためにとられるどんな行動も、パースペクティヴと、最後の目的(超目標)とを持っていなければならない。」(Станиславский. 1936. 訳p266)


 しかし『俳優修行』において、戯曲をどのような基準で切り取っていくのかは記されていない。「役を生きる」とか「感じる」ということは書いてあっても、どういったテーマの戯曲の場合には、どういう単位で切り取るべきなのかは記されていない。これらは俳優にゆだねられ、俳優の恣意的判断によってミメーシスされる。 パースペクティブとは「意図されたテクスト」を「これから起こる出来事を予知していないとされるキャラクター」をミメーシスするための単位のことである。


「一 伝える思想のパースペクティヴ。これはつまり、論理的パースペクティヴと同じことである。 二 複雑な感情を伝えるについてのパースペクティヴ。 三 物語なり台詞なりに、色彩や、生き生きとした眼に見えるものを加えるのに使う、芸術的パースペクティヴ」(Станиславский. 1936. 訳p267)