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卒業論文『演劇の記号論~スタニスラフスキーを読む~』⑦

■スタニスラフスキーの仕事

 さて、ここまでは「自然主義」に関する諸特徴を見てきたが、スタニスラフスキーはこれを意図してシステムを作り上げたわけではないことに留意していただきたい。
 演劇状況の改善、真実の追究をした演出家は、一体どのような演劇環境にいたのか。

「新しい劇作家と俳優があらわれるまでのあいだは、立ちおくれている内面的技術を完成させ、それを、外面的な演技的可能性の分野で達成されている限度にまで引きあげていくことが、もっとも当を得ているように思われる。これは――困難な、長期の、そして体系的な仕事である。」(Станиславский. 1926c. 訳p230)

 第一にここが注目される。「自然主義」に見られる「自我」や「無意識」といった面だけでなく、技術を蓄積するという意味で演劇の内面的技術が遅れていたことが想像される。それは、楽器を演奏する際に楽譜を暗記する、ダンスを踊る際に振り付けを暗記するというようなレベルで物語を内面化する、ということだったのではないかと考える。台詞の暗記だけでなく、表現しようとするものを内面化する技術、それがスタニスラフスキーにとっては感情の内面化だったのだ。
 
 演劇を芸術と捉え、他の芸術と違って、何に注意しなければならなかったか、スタニスラフスキーはこう述べている。

「さらに、他のあらゆる芸術家は、インスピレーションが彼らをおとずれたときに創作できるという点である。しかし舞台の芸術家は、みずからインスピレーションをコントロールし、公演のプログラムに記されている時間に、それを呼び出すことができなければならない。」(Станиславский. 1926c. 訳pp.253-254)

 演劇において俳優は非常に重要な存在である。その俳優のレベルが低ければ、芸術的完成度も当然低いものになる。

「「ロシア人は純粋に外面的な、肉体的な仕事の面では、とても勤勉で精力的だ。水を汲ませるとか、百遍も稽古させるとか、声をかぎりに叫ばせるとか、身体を緊張させるとか、表面的な情緒の刺戟で身体のかたちをつくらせるとかしてみたまえ――彼は、これこれの役がいかに演ぜられるものかを習得することさえできるのなら、何でも我慢強く、不平も言わずにやってのけるだろう。しかし、もし彼の内部に意識的な、あるいは超意識的な情緒を呼びさまし、彼に役を体験させるために、彼の意志にまで手をふれるとか、彼に精神的な課題を課するかしてみたまえ――君は反抗にぶつかるだろう。役者の意志は、それほどまでに訓練をつんでいない、怠惰で、気ままなものなのだ。私が説いている、そして正しい創造的自己感覚をつくるのに必要なあの内面的技術は、その主要な部分が、まさしく意志の過程にもとづいている。だからこそ多くの俳優たちは、私の呼びかけにあんなにも耳を貸そうとしないのだ」」(Станиславский. 1926c. 訳p127)

 創造的自己感覚と呼ばれるものがどういうものであるか、ハッキリとは書かれていないが、キャラクターをミメーシスするための集中力を準備することなのではないか。
 さて、当時のロシアの演劇環境は、まがりなりにも良いものであったとはいえなかったようである。

「私は編成中の劇団に使う俳優たちの下見に招かれた。渡された所書きをたよりに約束の時間に行ってみると、そこは、破産した承認があわただしく立ち去って行った空き家になったばかりの店舗であった。塵、あくた、紙くず、こわれた棚や箱、肘掛けと背の折れもげた長椅子、数脚のやはり同様な肘掛椅子、小間物類の古びた広告、上階へ通ずるらせん階段、そして上階は――天井の低い貯蔵庫で、汚れた小窓が一つあき、古い小箱が積まれ、その低い天井に私は頭を打ち付けた。ここの箱の上に、私の未来の興行主が助手と並んで坐り、その前へ、貧しい、ぼろぼろの服をきた、うす汚い連中が階下からやってきて、「俺、お前」で応対されていた。」(Станиславский. 1926b. 訳p26)

 しかし一方で、有名な俳優は開演5分前にしか劇場にこない、など俳優同士の間で落差が大きかったようだ。
 演劇が社会的コードに大きく依存しているように、観客の鑑賞態度も演劇においては重要な劇の側面である。
 当時、演劇公演は劇場で飲食可能、おしゃべりすら可能という状況であった。それをどうにか打破したときの一説がこれである。

「しかし、拍手に応える俳優の登場をやめてから間もないある時のこと、私は遅くなった幾組かの観客が、私たちの劇場のある横丁を駆け足でやって来るのを眼にした、――芝居のはじまるまでに自分の席につこうと急いでいたのだ。」(『芸術におけるわが生涯』(中)p124)

 しかし、人気が出てからもスタニスラフスキーの戦いは続いた。それは現代の演劇でも大きくあることであるが、

「劇場の入場率から判断すれば、プロレタリアの観客は、笑えるところ、腹のそこから出てくるほんとうの涙を流して泣けるところへ行こうとしている。」(Станиславский. 1926c. 訳p234)

ということだった。ここに対して、断固として「芸術的方面」に向かっていた功績は称えられるべきであろう。
 また、今でこそ「自然主義」的な演劇は一般であるが、当時は娯楽的要素が強く、社交場、娯楽の対象であったようである。
「公演の全体的な構成のそのほかの永年にわたる約束事とも闘っていかねばならなかった」(『芸術におけるわが生涯』(中)p121)というスタニスラフスキーは、以下のようなこととも改革していった。メイエルホリドは同時代に「最近の演劇改革は、演劇上の約束事の束縛から演劇芸術を解放するという方向へ向けて進められた」と述べた(Мейехольл, 1919)。

「舞台では何から何まで豪華な装置をそろえる必要はない、必要なのは鮮やかな目をひく部分である。」(Станиславский. 1926b. 訳p120)

「当時の劇場ではどこでもドラマの公演は音楽ではじめられていた。」(Станиславский. 1926b. 訳p120)

「給仕や案内係は、どこでも、帝室劇場でのように、燕尾服か、金ボタンや金モールのついた仕着せを着けていた。彼らは、遠慮会釈もなく、観客席を縦横に歩きまわり、役者には演技のさまたげとなり、そして観客には、舞台の上で行われていることを理解し、聞き取る邪魔となっていた。」(Станиславский. 1926b. 訳p124)

 こうしたことは、現代の演劇ではあまり見られることはない。しかし私たちは現代的状況においてもやはり「演劇」の「約束事」が存在することを認めていくべきであろう。性急な改革は不必要だが、それを改革する根拠があれば演劇は変わっていくべきであると私は考える。
 スタニスラフスキーはそれを以下のようなところから見出していたのではないだろうか。

「声楽の分野では、歌唱そのものや演奏スタイルのほかに、音読と歌詞に大きな注意がはらわれた。一般にどの人でもそうであるように、歌手も美しく、正しく話す力をもっていない。このために、たいていの場合彼らの歌唱の美しさが、卑俗な音読や発音によって損なわれる。もっともよく起るのは、歌唱のさいに歌詞がまったく消えてなくなってしまうことである。しかし、歌詞は――作曲家の創造のためのテーマであり、また音楽は――彼の創造、つまり、与えられたテーマの体験、それにたいする作曲家の態度である。歌詞は――何を、音楽は――いかになのだ。創造のテーマは、オペラを聞くものに理解されていなければならない、しかも一人の歌手が歌うときだけでなく、三重唱、六十唱、あるいは全合唱の演奏のときにも。」(Станиславский. 1926c. 訳pp.215-216)

 つまり、「伝えること」「観客の頭の中で想像させること」が舞台芸術一般の使命である、と。そのために不必要な約束事は取り払われなければならない。近代の演劇に大きな影響を及ぼし、現代においてもいまだにその影響力、影響を残している「システム」は「演劇が変革すること」を望んでいるのだろう。
 演劇が一般化し、コードが固定されないように、私たちは常に演劇を改良していかなくてはならない。「自然主義」はそのための土台に過ぎない。私たちはこれをステップとして前進していくべきである。
 「新しい劇作家と新しい俳優」は果たして、あらわれているのだろうか。