"improvisation and the theatre"の感想

"IMPROVISATION AND THE THEATRE"
by Keith Johnstone (Great Britain)1981 Eyre Methuen Ltd.,


今、読んでいるインプロに関する本。たぶん、訳書は出ていない。。。ので、同じ興味を持つ人のために要約やら感想やらを書いてみようと思う(特に、自分の勉強のために)。

ネットの文章なので、あくまで私見に基づいて書いていることをご承知おきください。
タイトルは(きっと)「即興と演劇」。日本語で「劇場」って言った時の意味合いと、欧米で「theatre」って言った時の意味合いは違うので。

■目次
introduction
notes on myself
status
spontaneity
narrative skills
masks and trance
appendix

■notes on myself
この章は、取り立てて論じるべきところはない。
しかし「大人の感性よりも、子供の感性のほうが純粋で研ぎ澄まされている」みたいな記述があって、アウトサイダーアート的見方じゃないか? と思う。なぜ子供の感性のほうが優れているのかは書かれていない。

「即興」の必要性が、「戯曲協会」から生まれたくだりなどは、感動する。日本の場合は必要性に駆られず、ただポっと輸入して取り入れていってしまうから、空洞が大きい。こうやって、必要性から出てくる方法論を、僕も見たいと思う。

■status
statusの訳語がわからずに、戸惑う。すいません、語学力があまりにありませんね。精読すればわかるのかもしれないが、とりあえず読み進めていこうと思う。また発見があれば書き直す予定。現在進行形。

statusは、テクストに対してコンテクストの意味合いで使っているような印象を受ける。スタニスラフスキーだったら「感情」とか言っただろうし、記号論的には「コンテクスト」のことである。

high status とlow statusというものがあって、highの立場にいる人は、lowに向かっていく。lowの人はhighに向かっていくと、即興演技がより新鮮に、笑えるものになる、と書いてある。

確かに、それはわかりやすい話だ。
だが、この章を通じて「statusによって、演劇のすべてが説明できる」みたいな記述があるので「地位」とか「状況」とかで訳しきるにはいかない。また、読んでいて意味がよく理解できていない。部分部分はわかるのだけど、なぜstatusという考え方が、演劇においてプリミティブであるのか。

それはスタニスラフスキーが言うところの「目的」とかってことと捉えていいのだろうか。でも、だとしても「statusによって空間を理解できる」という真意がわからない。関係性から、空間に緊張感は生まれると思うが、それをspaceというキーワードの説明に使えるかは疑わしいところ。

日本語としてはspaceは「関係性」程度にとどめておいたほうがいいんじゃないかと思う。もしくは「関係性から生まれる緊張と弛緩」という意味の言葉にでも。

「空間」とは、また違うな。

特筆すべき記述は「演劇の理解は、文学へのそれとは異なる」(p72)と書いてあるところだ。これは、「即興」によって演劇が切り開くべき、新しいリアリティの指針となりうる。

僕が即興に興味が持てるのも、この点であるし、演劇が文学とも音楽とも異なるのは、この「即興性」と「身体」の関係性においてであるのだ。

だから、即興の本でこれが書いてあったことは、勇気付けられる。