演劇におけるリアリズムの日欧比較3

具体例

それは、いくつかの作家について言うことができる。
日本において文学がリアリズムに傾倒したと言えるのは、近松門左衛門からである。それまで壮麗耽美な英雄伝が演劇メディアでモチーフとされていたが、近松は『曽根崎心中物語』において民衆の恋愛をモチーフとした作品を発表する。文体においては壮麗耽美ではなく民衆の心のうちを表現する文体であるから、それはリアリズムの発端である。

それから、文学においては日本のリアリズムも大きく躍進するわけであるが、舞台芸術の分野においては井上ひさし、平田オリザと時代を大きく経て経由しなくてはならない。

ここで新劇はリアリズム運動の一旦を担ったとは位置づけられない。新劇が取り上げたのはコード化された「近代演劇」であり「リアリズム劇」である。当時「赤毛モノ」と名づけられた、その新ジャンルは民衆の心の内を語ったのではなく、日本が西欧に対して持っている憧れを謡ったに過ぎない。それは日本的文脈におけるリアリズムとは一線を画す。

新劇に対抗するのがアングラ演劇であり、日本においてはむしろアングラのほうが正当なリアリズムの継承者というべきであろう。

時代は異なるが、野田秀樹からそれを見ていきたい。野田秀樹は日本では小劇場ブームもあいまって国民的作家となった。しかし、海外ではその戯曲は評価されず、現在では方向性を変えている。これを「日本の舞台芸術が成熟していない」と評する前に一つ考えておきたいことがある。

野田の文体は非常にミメーシス性が高く、俳優自身のスキャンダルを話題にもする。それはともすればブロードウェイミュージカルのようなショーパフォーマンスと言えなくもないが、野田の文体は寺山修司・つかこうへいの影響を大きく受けており、これを一概に「小劇場ブームの人気作家」と言い切るわけにはいくまい。

野田が影響を受けていたところのアングラ演劇では、政治的メッセージがあまりに直示的に伝達される。自身のイデオロギーを語り、象徴化された国家を罵倒する。それは物語というよりもパフォーマンスのそれであり、ミメーシス性が非常に高い。それをエンターテイメントに仕上げたのが「つかこうへい」であり、野田はつかの文体から大きな影響を受けている。