■はじめに
この論文では20世紀初頭に活躍したロシアの演出家、コンスタンチン・セルゲイヴィチ・スタニスラフスキー(1863-1938. 以下、スタニスラフスキー)を取り上げ、記号論の立場から演劇を解読していく。
そもそも、記号論における演劇研究はいまだ完成を見ておらず、その土台となる理論にもいくつかの穴があることを認めなければならない。「演劇」を記号論によって読み解くことには、いくつかの正当性があるだろう(記号の動性、観客の受容の仕方の解明など)。
しかし「演劇」は演劇であり、記号論によって演劇のすべてを説明することはできないということも認めなければならないのは事実である。
本論は、スタニスラフスキーの「自然主義」を取り上げ、記号論的に分析し、定義を試みている。 スタニスラフスキー自身が俗称している「自然主義」の諸特徴を、記号論的分析方法によって分析する。
ここでは演劇の理論を分析する上で不可欠な「コード」「劇世界」「記号」「主体」「物言い」の五つの項目を設けることにした。この項目が「自然主義」を首尾よく分析できているかどうかは、議論の余地はあるが「自然主義」を他の方法論や作品と比較することができるだけの見地は示せたのでないかと思う。
スタニスラフスキーを今、振り返ることによって現代演劇が近代演劇から何を学ぶべきか/何を捨てるべきかを考察する一端を担うことになるのではないかと著者は夢想する。
少なくとも演劇は21世紀に入り、映画、テレビドラマ、テレビニュースなどのマスメディア、さらにインターネットメディアを経験している。マスメディア、インターネットメディア未経験の演劇理論とは一線を画すべきであろう。
その意味で、「近代演劇」と「現代演劇」は区別されるべきなのである。そこで、スタニスラフスキーの演劇理論から、「現代演劇」は何を学び/何を捨てるべきなのかが見えてくるのではないかと思われる。