■リバーサイドの記憶
「荒川」は僕にとって身近な存在であった。僕は生まれてこのかた「荒川区」にずっと住み続けている。
僕が住んでいるマンションは荒川沿いにあり、歩いて荒川遊園地にも行ける。中学時代には、大人の目を逃れるために「荒川」へ逃げ込み、そこで酒を飲んでみたり、恋愛の話をしてみたり、門限を破ってみたりしたものだ。
今でも、時々「荒川」を自転車で散歩する。中堀君が事務所に住むようになってから、中堀君と一緒に夜中に散歩したりする。僕らにとって、「荒川」はイベントが終わった後のたまり場であり、二次会の場になっている。
■リバーサイドというイメージ
しかし、こと日本において「川沿い」とは低所得者が住む場所である。浅草の隅田川には浮浪者がいついていることで有名だ。「二子玉」とは違って、「荒川」は昔から川の氾濫が課題であり、真っ先に被害の対象になるのが川沿いの民家である。
「荒川」沿いの地区といえば「南千住」「尾久」「八広」など荒川区、足立区の低所得者の地区である。
一方でパリ、ロンドンにおける「リバーサイド」は高級住宅地が密集する場所である。パリ右岸は高級ブティックが立ち並び、街の中心をなしている。
「リバーサイド」というイメージは、パリ、ロンドンのそれからきているのである。
■新大陸プロジェクト
5年前に、急に南千住が「住宅街」に変わった。その名前は「新大陸プロジェクト」。三井と東京都、荒川区が計画したものだ。
この地区は「汐入」と言われ、「汐留」と類比されている。マンションには「リバーサイド」という名前がつけられ、新しい住宅地として構想されている。
これが八王子のニュータウンと異なるのは、山を切り崩し、歴史を新たなに作ろうとするものではなく、もともと工場が密集し、貧困層が居住していた歴史を持つ土地に、中級階級のための住宅地を建設するところにある。
当然、ここには都市を浄化しようとする行政の思惑と、税収を増やそうとする試みが鑑みられるが、僕はそれについてどうこう言おうとは思わない。
僕が考えたいことは、そうした経済的な力学ではなく、確かに僕もこうした街で生まれ育ち、中流階級という幻想の枠組みで生まれ育ったという個人的な点にある。
日本は、確かに中流を志向した時代があった。しかし、いまやそうした理想を信じることはできない。
南千住に建設した、この住宅地が中流を志向していることは誰の目にも明らかである。少なくとも高級住宅地は目指されていないからだ。
しかし、僕たちはいま「中流」という幻想を抱けるのだろうか。仮に抱いていたとして、そこにどんな「幸せ」があるのだろうか。